せいじ

こんにちは。

今日はおめでたい日です。私は一つ年を取りました。(旧正月だと)今日から新しい年を迎えましたね。

一つ年を取ったところで(大人になった)、少し真面目な話をしたいかなと。

タイトルにあるとおり。

今だに、率直に話すことに対してタブー視されている感もあるのは、どうしてなのでしょうか。

敢えて突っ込んで話が出来たとしたら、みんなそれぞれ色々意見をもっているにも関わらず、公の場でなかなか話題に上がらない気がします。酒の席だと特に、ご法度な感じありますよね?急にこじれる感じになるとかね。

でも、世間話ってだいたい天気、子ども、家族、そして暮らし向きの話が出てきたり。

もうこの話をすること自体、政治の入り口でしょうと。

この界隈の話をするにあたって、私自身何かにすごーく詳しかったり、物を申したいことがあるのかと言われると、そういったことではなく。だからこそ自分に対しても、もっと関わっていかなければ。という気持ちを改めているところでもあります。

生活をしていく中で見つめる。

まずは、自分の興味onlyで。食べるのが好きなら、食べ物、飲食店、作る人、売る人、運ぶ人など。

音楽をやっているのなら、楽器、使う人、売る人、直す人、演奏する場で働く人などなど。

そのまた周りに関わっていく友人、家族。環境、システム。

自分の推している人やものまたそこに関わっている生活環境(国の違い、文化、習慣、宗教、人種)

身近で応援している人やもの(友達の農家さんだったり、未来を考えて作っているモノを買う)

自分にとってなくなると困ること。

自分の生活に落とし込んだ時に、その先を、先を、想像していくとどれだけ多くの人とのつながりの中で、自分の興味の充実があったり暮らしが機能しているのかを、ちゃんと腑に落ちて理解することができるんじゃないのかと。

情報量の多さ=調べることが容易い。にはならない。

例えば一つの考えを推すときに、それを推した結果何がもたらされるのか。推そうとしたきっかけの考えの出本は正直?安心できるものなのか。(ケンカに例えると片っ方の話だけ。ということになっていないか。)

前投稿で世代交代。に触れましたが次代の人たちが、自分で考え、自分で迷い、自分で決めて、自分で歩いていけるように育てていく責任があるのかと。

周りを見て、自分の思いをねじ曲げてしまったり、そもそも関わっていない人たちからの、勝手な情報に惑わされないように。

足下を見よ。グラついているのなら整えよ。

また明日から、平日始まり。

大好きなお酒やら、家族、友人と囲む美味しい料理やら。守っていきたいものばかりの毎日です。

大切にしたいのなら、大切にできるように。

相も変わらず不安なことだらけな現状で、何を信じてどうやって歩いて行ったら、、もしそう思うのならあえて土にちゃんと根をはっていく地道なやり方をただひたすらに。

地面を見つめられないと(自分の立ち位置、現状)ふわふわしたことしかとらえられなくなってしまいそうです。

自分から動く覚悟を。

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この記事を書いた人

日々のよしなし事を、ただ。

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