もやもやんぬ。そして人と会うこと。

こんばんは。

今週末、来週末とめずらしく予定が入ったり控えたりしていて、少し忙しさを感じているこの頃です。ここにきてちびっ子たちも少し調子を崩し始めたり。家族がたくさんいればいるほど、単純に健康に気を配ることが増えるし、負担にも感じがちです。

今週中日あたり、やってしまったことが。しっかりやっているつもりでもどこかしらで気が抜けていた。としか言いようがありません。今は反省、というか申し訳なさが大きすぎるのでネタとしても消化できず。。これはそのうちネタにしてしまいそうですね。反省しているのですが、、そう見えなくなってしまったらごめんなさい。

そういうつもりが無くてもどこかしらで調子に乗っていた自分がいたのかも知れません。

地に足をつけて行動できる大人。なかなかなれるものじゃない。フワフワ浮つきながら過ごしていたらこういうことに。ってことなんだなきっと。

会おう会おうと意識して過ごしてきたわけではないんだけれど、親戚同士って疎遠になるときは疎遠になりがち。特にこのコロナ渦がくせ者で、今日やっと会えることになった親戚たち。

なんせC子も会ったのが何年も前のこと。本人は記憶にないようなので、物心つく前の話。ちびっ子たちはもちろん初めましてのお宅訪問でした。私の叔父さん(母の弟一家)のお家です。

たまたま叔父さんの誕生日にブッキングしてしまっていて(知らなかった)、一緒にお祝いの宴?に参加させてもらいました。ちびっ子たちの人見知りの発動が出だしすごすぎて、家の中に入るのに多分30分くらいかかったような記憶、、慣れてしまってからはいつも通りわいのわいの騒がせてもらっていましたが。

ひさしぶりに訪問したのはなんとなくこのタイミングで出会うべき、つながるべき何かを察知したんでしょうね。まさかの旦那さんが今後の仕事でつながるかもしれない人が、あれ、いとこが?という状態でした。おもしろい。お互いに仕事の面を含めても、お互いを把握していなかったことがおもしろいし、つながり始めると結果。親戚同士のスピード感。ここにあったんじゃない。っていう失くしものを見つけた時のテンションまんまですよね。

叔父さんのお家(今は亡き、おじいちゃんおばあちゃんのお家でもあったのです。)は、昔はそれほど感じてこなかったんですが、なぜかすごく居心地がよい。弱さをすでに認めつくしてきた、全部受け入れてくれる体制が整っているような家。うん、わかりづらい。ほんわかしている人柄では決してなく。どちらかと言うと、涙をすべて飲み込んでここに今は、という人柄。

会わない間にもみんな色々あって抱えてきて。だからやっぱり人と会えるっていうのはいいことなんだなと。

ちびっ子たちがどう手を出しても、動じずにニコニコ見守ってくれる環境なんて、ないよな。いや、やはりありがたい。

おじいちゃんおばあちゃんのお墓にもお参りさせてもらい、4歳が近づいたちびっ子たちもここにきてやっとあいさつしに行くことができたなと。友だちもそうだけど、ご先祖様だったり親戚関係も奥が深い。つながるべきがある時がある。を今回は特に痛感しています。

年々そう感じることが増えていくんだろうな、きっと。

今日も見ていただきありがとうございます。

あいさつができること、お互いに顔を見て健康を確認できること、当たり前のことなんだけれどもとにかくそういうシンプルなことの積み重ねなんだなと。

明日もよい一日を。

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日々のよしなし事を、ただ。

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