冬とは。潔さ

今日は考えがうまくまとまらず。そんな日もありますよね。

他県に住んでいるB(うちの次男坊です。)から今日は電話があった日でした。また今後の投稿で彼の話もしようと思っているのですが、今学校の方の事情で、彼は携帯電話を所持しておらず。週末になると公衆電話からだいたい連絡をよこしてくれます。

これが本当にうれしい。ただ一言。連絡をくれたことに感謝。と思えます。離れて暮らして身に染みている感謝ですね。

Bは随分と考えが大人びている子で心の面はもう成人に近いような。Aと生まれる順番が逆だったかと思わされることもしばしばあるような子でした。

6分ちょっとでしょうか。旦那と交代でちゃんと会話ができました。前回会えたのが年末年始。次に会えるのはGWになりそうです。

親がさみしがっていてはしょうがない。

取り留めないままに。今日は綴っていこうと思います。

(子育てを認められたい)                                       これは私が旦那を見てたまに感じてしまうこと。ということは、転じて自分も。と言えるのですが、、評価されたい。全く評価が欲しくない人間なんているんですか。人はいつだって認められていたい。自分でなく、子育てを。←これは危うい。自分が手をかけたことに対して、なのか。子ども自身に対して、なのか。子どもをちゃんと他人と思っていなくては。褒められるっていうのはただうれしい。

(全部のつながりを見る)                                       わかることが大事。全てのことは繋がっている。例え:木がそこに一本立っています。理科として見る目。木の育ち方、観察。国語として見る目。その木に対する説明、詩や文章。数学も、社会も、音楽、美術…つまりどんな目をもってその物事を見るのか。要はものの捉え方。つながっているということにいつ気がつけるのか。戦争も、自然災害も、犯罪も、華やかな世界も何もかも。全てはつながりの中ということ。

これは本当に感じています。いろんなことにおいて分断が進めば進むほど。華やかと地獄って実は紙一重なんじゃないかと。

(デジタルが浸透すればするほど、アナログの良さも際立つ)                       唯一無二。デジタルを管理するのがアナログの宿命。人の存在意義。血、汗、涙⁉は誰のために流すのか。

(近所の宗教施設に書いてある毎月の教え。確かに。と思うことが書いてある。)               私自身、今のところは何の信仰ももっていない、が神や仏。信ずるものがあれば心が強くなる。という心理はわかる。好き。そして信仰。すがって生きるというか、考えの軸にする。それがあるから起き上がれる。毎日が送れる。

(子ども食堂)                                            こういう行動の、ただ善意を信じたいだけ。タダでご飯の提供、リスペクト。の反面、その背景?材料の調達?金銭的な後押しはどこから?どうしてできる?誰が主で行っているのか?誰のためが本当なのか。タダでいただくんだから欲が出せない。好き嫌いも言えない。アレルギーさえもわがままにとらえられかねない。

(半信半疑案件)                                           たとえばホームスクールのことも、参加している本人たちに会って楽しそうにしているのを見ると、この子たちにとって本当に良い道を歩ませているのか。いまするべきことやら役に立っているのか、将来のために?なんていうグズグズした考えが一気に吹き飛ぶ。これが良いのかもしれない。楽しがる重要性。

古い、新しいではなくfeeling。よく考えていこうという意思が大切。

(目が弱いから私は耳を保険で使う)                                  車の運転時も。100%見ることだけに頼れないから、窓は必ず薄く開けてる。視覚だけじゃない、聴覚でも得られる安心。自分の体の器官同士で足りないものは補い合えることをもう知っている。自分の体で補っていけるのに、外に目を向けたときに普通にふるまえていない不思議。

(『正直』こそ、親から学びとる)                                   姿勢であると思う。本当に、肝心肝要なところ。子どもは自分でつかみ取っていく。大人が示すは、環境、生き方。その時代にどういう行動をしていたのか。ちゃんと見られているということ。

(双子、電車やバス、遊園地への興味)                                 あまりレジャーに連れていけてない現状です。単純に億劫がってるということです。コロナ関係なく。2人ちょろっとするのを見る大変。視界がだいぶ広がったんだなあと。ひたすら感心させられます。

後日談:双子たち、この8月も終わりの現在。誕生日を迎えまして4歳になりました。そして最近では慣らしの意味も込めて、近場にあえて電車で向かったり。少し公共の交通機関も楽しめるようになってきています。これは親(私自身)も含めての大きな進歩だと自分でも思っています。こうやって楽しめる日がくるようになるとは、、感慨深い。

(衝撃!な言葉)                                           自分より年下の子を見て、Eが言い放った一言。「あいつ、やべー。」ん?ちなみに自分のおもちゃが取られそうで、ハイハイだかで近づいてくる年下に対して、言い放った一言です。やだ、こわ~い。

(良かれはやらせたい)                                        良かれがそのうちやらなきゃ。という強制になっていかないこと。強制は面白くない。

(感じてはじめて身につく)                                        人から学んで感じることが無いと、自分の身にはつかない。おもしろいと思えないと、なかなか身に入っていかない。そう、面白いしか勝たん。

(任意マスク?の日にちの線引きは正直????)                            何の必要性?その日から何が変わる?変える?人の信念はそれぞれ違うということ。そろそろお互いを認め合う生活を。

(無意識の努力)                                        一緒に歩くという行為自体、無意識に互いを尊重していると思う。同じ歩幅。同じペースで合わせて歩くということ。

文の羅列。今私の頭には雑多な考えがぎゅうぎゅう押し込まれている状態。まとまりにもなれずに。互いにひしめき合っている。本当はこのチョコチョコした考えだって、一本の太い何か、でつながられているんだろうと。

今日も見ていただきありがとうございました。明日は娘とチョコレート予定ですが、ですが、どうなるやら。。

明日も良い日になりますように。

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この記事を書いた人

日々のよしなし事を、ただ。

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