出会った、これは、、

こんばんは。今日もブログの時間です。

今日は自分的盛りだくさん活動的な日になりました。午前中は旦那さん用事のため平日と変わらずな動き。そしてその後友だちにお誘いを受けていた岡本知高さんのコンサートに行って来ました。

失礼を承知で言わせていただくと、、興味あるかないかと言われるとテレビでは見たことあるし、歌が上手いようなのも知っている。けど、どうなんだろう、果たして。というのが誘われてて思っていたことです。そして実際に歌っている姿を目にしたら、、もう言わなくてもわかってもらえそうなのですが。あえて言っていいですか。号泣ものでした。友だちからは、心洗われるよ、浄化されるよ~なんて言われていたのですが、とてもそんな一言でおさまりようも無く。

歌というよりもむしろ生き様。音楽の専門的な知識の話や、出身地、自分の生い立ち、自分の母から歌ってほしい曲のリクエストが届くけれど、やはり自分で伝える歌は自分の腑に落ちる歌でないと歌えないという話。今日行った場所の話。拍手もそれぞれの人が持っているそれぞれの楽器という話。歌えていることに感謝をしているということ。友人の一言で世界が大きく変わったこと、などなど。

こんなにも歌が心にダイレクトに沁みてくるとは。してやられた、という風に言葉が何度浮かんできたことか。とにかく揺さぶられ続けていました。脳天に響いてくるソプラノ。体がまさしく天然物のソプラノであったと。ご本人の口からも天然物だと語られていましたね。そうであってもそれに気づけるのもそれは奇跡であるんだろうなと思います。

自分が何かを持っていたとしても果たしてそれに気づけて、それをやり通す力を持って。っていう人たちは世の中にどれだけいるんだろうって話ですよね。そればかりを拾って成功者だとか敗北者だとかいうのもなんか違うなって気もするし、それはもう使命。なんじゃないかな。ただ声を出す。歌がそこに乗っかる。すごく自然に。最初からあるものがそこにただあるかのような。それが奇跡ということなんじゃないかと思います。スタンディングオベーション。ラスト、私は打ちのめされていて、立ち上がることすらできませんでしたが。

ああ、しんどい。

しんどい、もちろんいい意味で。受け止めきれないほどにたっぷりと美声のシャワーを浴び続けてきたおよそ2時間の公演でした。

その後は一緒に行った友だちと飲み語らい。毎度この友だちたちとはどこへでも出かけていく3人なのですが(年末も一緒でしたね、あ、年始も)それぞれがほどよくマイペース。ほぼ自分のリズムで動いている中で、なんかでもうまく機能し合うときがあるというか、、要は気が置けない間柄ということ。とっても楽なのです。

近況やら、生活のこと、もやっとしてること。自分よりも姉さんな2人の言葉は私の視野とも全然違ってとても面白い。人間関係大変なことばかりだろう、なのですが面白いと思えて付き合えている関係ってすごく素敵なことなんじゃないかと。私が面白いを提供できているかはただただ疑問ですが。

人間手を取り合って、仲良くして、平和を祈って。この公演中にも岡本さんの話の中でも出ていたのですが、こうして今日この一か所に、みんなが集まっていることそれ自体が奇跡だと。平和とか重たいし、きれいごとすぎる言葉かもしれないけれど。確かにこうしてここに立ち会えているそれは奇跡なんだと。当たり前のことほどその生活を、当たり前に送っていけるようにみんなが作り上げている祈りの塊であるのだと。

奇跡に出会えている日。日々が続くこと。世界が地続きであること。自分の周りから生活を支えていくこと。大きいことは叫べないけれど、小さななにかを積み重ねていくように。

今日も見ていただきありがとうございます。

知らない世界ほど見てみるもんですね。声をかけてくれた友だちにとても感謝しています。そして、誕生日近かったんだよな。おめでとうも渡すものも何も無かったなと。気づくのが遅すぎたのですが。

明日もよい一日を。

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この記事を書いた人

日々のよしなし事を、ただ。

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