こんばんは。みなさまいかがお過ごしになられていますか。会話という方向性をとらない一方的な言葉の投げかけ(=ブログ)ですが、きっと誰かは。という想定。うちは家族ともども元気です。
今までも自分の苦手をかなりたくさん上げてきていますが(偏っているんでしょう、人間デスモノ。)得意、というか好きなことももちろん。文章をつらつら書いていたり、←本当はアナログに紙にペンで、ってのが一番好きなのですが。料理するのもそこそこ好き。←多分その過程を組み立てるのが結構好き。あと誰も知り合いのいない場所で一人で行動したり。(ご飯やお酒やらも)
多分、直感的なところ。アナログ要素が強いようなところが得意と言えるのかもしれません。何かを間に介するとなんか急にやれなくなってしまったり、苦手感。電話することがまず。車の運転もそうだ。電車に乗る、というのはいいんですけれどね。自分でなにかモノを間に挟むとうまくいかなくなるってことなのか。スポーツも球技は苦手。道具を使うのが上手じゃないのか。
人間を相手にする要素が大きすぎる、というかそれしかない子育て。これも対処をうまくやれているのかと言われるとわかりませんが、まあそれなりにちびっ子たちも成長してきてる。
昨日は母の日(私からは特に何もしていませんで。お母さんたち、今月誕生日月なのでその時に。)で、A、Bともに多分旦那さんからの連絡(今日は母の日です。みたいな)がいって二人とも私にそれなりのメッセージをくれたのかと。強制しちゃってごめんねという気持ちと、ちゃんと言葉でもって返そうとしてくれていて良かった。と思ったのと。自分が子どものときなんて意識していたかな、そういうこと。年頃になればなるほどやってなんかないですよね。だからそう考えるとエライ息子たちなんだな。
家族は一つ、得手不得手の集合体とも言えるかと。うちの場合特に人数の関係もあるか混在している気がします。しゃべりが得意がいれば、書く方が得意もいる。みんなで行動するほうが、がいれば一人で行動したほうがもいる。アナログ、デジタル強い派。
小さく認める。というか許し合ってというか。そういうのを覚えていく場所でもあるんだよなと改めて思ったりもしています。
正しさというか、何でもよくできるに越したことはないんだけど、弱い部分って補充しあっていけばいいんだよって教えられる場所、見せられる場所。
周りを認めるのがへたくそな世の中だよなって思う時があるし、正直自分も自分のこだわりで固まっていたりして、認めるのはヘタクソ。無視するんじゃなくて(無視するしかできない価値観も存在はしていますが)押し付けあうんでもなくって。
少し前に見た映画”82年生まれキムジヨン”。韓国映画です。2020年の作品なんですね。感想だけを述べると、淡々と続けていく生活に対して消費していく主人公。ただ疲れ果てていく。死人が乗り移ってしまたようになるぐらいには。自分がいったい何者なのか、消えてしまうほどの存在なのか。得意も不得意も通用せず、押し通せる自分のない、ただ生活していくということ。変わらなきゃ、でも弱い。それを認める周り、自分がいて最後にはきっと、胸を張って自分のことを語ってみようかと思える作品だったなと。ほら、私はまだ動いていける。弱いことを認めていける。
どうしたってアナログ。感覚を持つということ、感情で行動すること。
認める。は理性ですね。
今日も見ていただきありがとうございます。だんだんと考えていてまとまらなくなってしまいました。そんな日もまた。
また明日もよい一日を。
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