こんにちは。明日はあまり天気が良くないようですが、家にこもっていなきゃならないのか…ユーウツになります。積もらなきゃ、、うん。
雪に慣れていない県民なのでただただ困ってしまいます。中途半端に降って、少し積もって、でもって凍ると。雪かきをしないわけにはいかなくなります。ちょっとした事情で、家から離れている向かい側の道も雪かきをしなきゃいけなく。。いや、降ってしまえばそれはやりますが。
今日は私の趣味の話を。読書です。
小さい時から本の虫。色んなジャンル、色んなことを知りたい!知れる!のが読書の醍醐味です。本の中の物語に浸っていられる時間って素敵じゃないですか?人間だけに許された文化。だと思うのです。モノによっては読み進めるのがただただ苦痛になる内容のもありますが。自分の感情の揺さぶられ加減。私が頭を使って読み進めていても、私の感情は別に存在している感覚。、、、、
なんかややこしくなりました。
好きな本の紹介です。
私の心の核。
『マザーズ』金原ひとみ 著です。
何度も何度も読み返した10年経ても色あせていない作品。結末がもうわかりきっているのに何度もそうなることにハッとさせられる作品です。
主な登場人物は3人。(少し内容も入りますよ)この3人の不出来が本当に愛しいと。人間であるということを強く感じさせられます。
母になった瞬間(子どもをお腹に宿した時)からいつか引き裂かれるだろう痛みを常に抱えている。
第一に、産み落とした時の離別(自分の体との分離)。第二に人間として成長していくことの離別、そして本当の離別(現実の世界からいなくなるということ)それはまさしく予感しているもの。本当は出産こそが最大の離別で、お腹にずっといつまでも宿していたいのかもしれない。
ユカ、涼子、五月。この3人の母親たちはそれぞれ、小説家、主婦、モデルであり、子どもたちの年齢も2才、0才、4才とバラバラである。ドリーズルームという無認可保育園に子どもを預けていることが唯一の共通項。大人同士、点のつながりであったのが子どもたちがいることによって、線として関係が繋がっていく。
この母親たちの素行は呆れるほど。ヤク漬けしかり、虐待しかり、不倫しかり。絶対にあり得ないとは言い切れないこの世の中の、母であるばかりにということの苦しみを全部背負わされているような。
10年ほど前の私は、、この本の出版。震災の年の7月となってましたね。
覆される。
この世にあるものは簡単になくなる。
現実と幻想はうらはら。
誰もが被害者なんだという意識に満ち満ちていて、明るくしていることが悪で、でも真面目に必死でいるのもツラくて…っていう時代だったかと。
親とはいったい何なのか。特に母親という存在。
作中に出てくる五月のキャラクターはモデルなのですが、ママモデルという呼ばれ方に違和感をもっている。モデルがたまたま子どもを宿しただけ。生き物としては別なのではないかと。でもそれと同時に、自分が母でないということはあり得ない。と自ら感じているわけです。
子どもがいるから親になる。でも、自分という人間は、これだけのために暮らす人であったのか。自分はどこに存在しているのか。登場人物たちの自問自答がひたすら続きます。
私という人間。生活、人生が私の思い通りにいかないという想い。育児は楽ではない、大変だった。と話す登場人物たち。
そして、ラストシーン。
ああ、そうなってしまうのかと思わされます。現実でないのに、こうなることしか無かっただろう、と。多分この人たちの運命はこうあるべきだったのだと。
こうやって、受け止めて毎日を過ごして毎日を愛おしく感じ。朝がきて日の光を浴びて、そこには一緒に生活を営む人の姿があって、、、
淡々と毎日を過ごしているのなら、そんな日常が愛しく思えてくる本かもしれません。
絶望から見る世界。いつまでも続いていく、自分の、自分が主人公であるべき世界。
今日も見ていただきありがとうございました。
明日も良い日になりますように。
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