時々、おかん。

こんばんは。

今日はとっても良い出会いがあった一日でした。主に子どもの用事で外に出ていた一日だったのですが、、

時々おかん。は私的にとても理想のスタイルで、自分のこと=全てお母さん業だけで成り立っているわけじゃない。むしろ、ほとんど自分。お母さんという人間、半分も存在していないかもしれず。

午前中は主にちびっ子たちの用事。そして、午後は小学校と言えば、な授業参観の日でした。今回娘は初めましてな先生。いつでも心配する必要が無くても心配になってしまうのが親心なわけで。どうやら楽しそうに授業を受けている姿を見てホッとしました。今はこのご時世、同じ市内の小学校でも授業参観における学校の対応がそれぞれ違っていて。うちの学校では参観する保護者が1人に限定されていること。そして、未就学児は校内に連れていけないという決まりになっていました。正直この対応に最近は悩まされがち。だいぶ緩和がされたとはいえ、未就学児を連れていけないというのは正直厳しい家庭もたくさんあるんじゃないかなと思いますが。うちは旦那さんに半休をとってもらってどうにか。

勝手な理想としてはとなりのトトロ。いいじゃないですか、間にちびっ子が挟まれて授業を受けている姿。ほのぼのすると思うんだけどな。そんなことできる余裕が無いほど、授業の進行はなにか切羽詰まっているんでしょうか。単純にちびっ子を邪魔扱いするのってなんか嫌だなと思ってしまいます。

参観自体は普通の授業。国語の時間でした。改めて感じたのは、授業参観の役割が子供の成長に対しての発見の場になっているなということです。ふだん子どもの様子をじっくり見られていないと余計にそう感じます。そうだ、立ち止まって彼女をじっくり見る時間なんか作ってこなかったなと。そしてよく見ていると、学校という場は、発表する場ではなく、勉強するきっかけを作る場だということ。興味への扉を探す場所ですね。そのために色んな教科があってバランスをとっているんだと。どんな分野に興味を持っているのか、方向性を導いてくれるための教科の数々ですね。また、人間としてのバランスの良さを特に求められている場。というかそういうことを作ろうとしている場なのかと。バランスの良さは、決して均すということでは無いと今日の先生のやりようを見て感じました。

平均、をこよなく愛する。という風に見せといて。学校も時代とともにちゃんと変わっているんじゃないの。と安心もしました。4年生、それが男子であれ女子であれ。実はとっても私自身は相手にするのが苦手な年ごろなのですが。まあ今日の授業を受けている姿を見ていると、やる気のある年頃なんだなと。とにかくのびていく年頃。思い返せば自分も一生懸命英語の勉強を始めたのがちょうどそのくらいだったかと。また、まだまだ対話を必要としている時期だな、という気がしました。子どもだし、少しずつ考えは大人に近付きつつ。でも子ども。という。

まあ求められてるのも高度なことばかりでしたよ。人の気持ちを推し量りながら話す。とか、時間の切り替え。優先順位を決めて行動する。とかね。そんなことができていたら親の出番なんか一個もありません。むしろ親ですらそんなことできない。

良い出会いがあったのはその後のこと。同じ学年の保護者でずっと知っている人ではあったのですが。まさかそこで繋がるの。という繋がり方。回り道をして戻って来た感じです。私が今興味がある、畑を上手にやっている方で(うまく人の手を借りたり、やりたいことに対して貪欲に動いていたり)全然そういう話をしてきたことがなかったから気が付かなかった。とお互いになる始末。近々、畑にお邪魔させてもらうつもりです。個人でやっていますが小麦の栽培、そして販売までを。

すごく単純に、体を使って働くという悦びをちゃんと確認したいのかもしれません。子どもたちにもそれが楽しい姿だということを伝えたい。彼女も親が楽しんでやっていることが、結果子どもたちに良い姿勢を見せていることにつながっていると考えている人です。畑が働く場所、社交の場所、憩いの場所になるだろうことまで多分見越して、マイペースな形で、ゆるりとおいで。と言ってくれる。器のでかい母ちゃん。だなと。

ときどきおかん。休む、働く。同じ人間だけど違う人間。

今日も見ていただきありがとうございます。

明日もよい一日を。明日は珍しくちょっとスポーツに!

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この記事を書いた人

日々のよしなし事を、ただ。

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