決めること、決まること。

こんにちは。

ようやっと自分の人生を自分で泳がせるようになってくるかもしれない、そんな予感の春。です。

自分のこと、ちゃんと考えて決めていますか。家族に対してももちろん。周りの人たちにこれが自分スタイルです。と押し通せる意見を持っていますか。

うちは、、、変わっているほうですか。割とある方なのかな。夫婦で特にお話(いわゆる他愛ない)もするけれど、割と議論の形になっていることが多いかも。似た者同士が大体寄ってくると思うので、私の周りのご家族、ご夫婦たちはそんなタイプの人たちが多そうですが。

自分のことを自分で決める、当たり前のことを言っているのですが。責任能力のかけらも無いと、自分のことやら子どものことやら放棄しがちになりません?一つだけ、今日の後味悪いかもという話。児童館に行ってきたのですが、割と大きめの兄弟がそこそこ混んでいるボールプール内で好きなように(ボール関係ない人にぶつかるよ。)過ごしていたんです。子どもたち本人は、まだ周りのことを見れるほど大きな子たちではなく。親御さん、特に注意もしないんだな、と見ていたのですが。そのうち、やはりやはりちょっと逸れたボールが私に当たりまして。「あ、ごめんなさーい。」と、お母さんの一言。そして、そこから、やっと。「当たったり危ないからやめようか」と。(へ。なんですと。)今の今まで携帯をいじっていたお母さんよ。なんですと。思わず去る時に「さっきからずっと(危ないことをやってたよ)でしたよ。」と言ってしまいました。

今。人に当たってからの注意とか。やっちゃダメなやつだと思うのですが。危険予測できないのか。匙加減というのもありますが、小さい子が多い場だしね。赤ちゃんに当てなくて良かったよ。とも思いましたが。

責任をとってあげなきゃいけない年齢だし。まだ予測不可能だから保護者付きの施設になっているとみているのですが。どうやってとらえて遊ばせているのか、とか。思考がいちいち気になってしまいます。

自分と子どもとは違う人間だから尊重する、というよりすごく突き放しているように見えてしまう。かくいう私も上手に付き合えているのかは難しいのですが。。一つ言えるのはめっちゃ子どもたちを見てます。それだけは確実に言えるほど、めっちゃ見てます。2人分のプレッシャーを無意識に抱えているのかはわかりませんが。昔から割とそう。防げることは防いであげたいというところ。杖みたいに何かを渡すのではなく、ただ見るのみ。案外、顔の変化だったりよく見えたりするのでこれは大事。

結局、何かに対処しなくてはならないとき、子どもの手本になっているのは親のやり方であるということ。どこまで責任を持ってもらえるのか。子どももよく見ているということ。

道筋は決めた瞬間に、決まる。瞬間から全て過去のことになっていくのだし、自分の人生は自分にしか決められない。恐る恐る決めた道を歩き出さなくては。

今日も見ていただきありがとうございます。

最近も幸せ供給多めですね。好きということも自分で無意識に決めているだけ。決意はいつでも自分をキリッとさせてくれます。見えない未来を追いかける生活がこれから始まりそうです。この話もおいおいに。

明日もよい一日を。

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この記事を書いた人

日々のよしなし事を、ただ。

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