自分的ざわざわ案件

こんばんは。

相も変わらず春満開だった今日、皆様におかれましてはいかがお過ごしだったのだろうか。

暑かったですねー、もうすでに。5月ごろの陽気だったようですよ。ちびっ子たちなんかもうタンクトップで過ごされてて。真夏はどうしたらいいんだろうか。今から心配。

春。ってなんか気持ちが浮つきがち。故に、ざわざわしています。季節なんだけど、独特な色気を感じる季節でもありますよね。季節自体に酔っぱらってしまうような。ぼんやり、錯乱させるような。物事をそんなに深くとらえなくていいんじゃないか、という気にさせてしまう。確かに、寒い季節って寒いっていうだけでどうしようもなく不安に駆られてしまうので、寒さからの解放=気持の面でもちょっと解放されるのかなと。夜が明けて朝になっていく感覚。とも思ってみましたが、うーん、違うな。私的には夜の方が解放感ありました。

漠然とした不安はあるんです。何があるっていうわけでは無いけれど。特に子どもたちが少しでも新しい生活に入っていく季節でもあるし。こっちの方も小さなことにも敏感になってしまう季節。気持の面や、体も色々成長しつつある中で、身の回りのことに親はどれだけ協力していけるんだろう、とか。知っているようで知らないことの方がはるかに多い、もうすでに。特にC子に関しては。どんどん親の手、目を離れていく時で、かといってずっと側にいたり、まだ共有できることがそこまで多くはない。話しているとどこまで通じてくれているのかな、とか。子どもってでも、親の知らない世界があるから楽しいところもあるんだよなとか。私はでも、もう少し関わってもいいんだろうなとも。友達からも言われた経験アリです。彼女からするとあまり見ていない気がするよう。

人を知る、ちゃんと知るっていうのは、それこそ根気よく観察するように見ていかなきゃいけないものなのかと。

何となく、雰囲気はっていうのも全くなしではないだろうと思ってる人間です。ニュアンスで気持ちを読もうとする、とか。演劇部にいたころは裏の気持ちばかり読まされていた気がします。「バカ!」っていうセリフの裏には(好き。)って言ってるとかね。好きという演技なんです、セリフが「バカ!」ってなってるだけで。

日常会話ってまあそんな連続ですよね。決して本心では無い言葉ばかりが飛び交っていて、これを言いたかっただけなんだ、とか。まあ、そういう関係は好きじゃないのですが。

最近ちょっと気になったことがあって、たまたま連続して見たもので。子どもとの距離間、どうなんだろうという。離れがちな親が多い気がしています。特に乳幼児に対して。個の人間として接しているというよりか、責任をとるつもりはありませんという距離間。いざ、遊んでみて小さい子のトラブルなんかは日常茶飯事だろうと思ってる者ですが、少し絡みそうなときに、なんせ親が見当たらない。え、そんな距離で見守ってるって言えるの?それはもはや傍観者の位置じゃなくって?ていう距離。また、別の話。あるグループのような(何人かで移動されていたので)中で、毎度手を出すような子が決まっているらしく、その子の親はその中で居心地いいのかな、、と無関係の私も思ってしまうほど、卑屈になりそうな手前の親も見かけました。手を出さない方の親は安心しきっておしゃべりしているという。なんかなんて言ったらなんだけど、違うんじゃないかなっていう気がしてしまう。

ぶつかって育っていくべきところがすごく薄くなってしまっているような。そもそも人との距離が意図的に離されていった今だから、また戻るべき。な気がしています。

人間同士は関わっているから楽しいのに。どんなことでも化学変化。子どもたちに知ってほしいのはそこかなと。

今日も見ていただきありがとうございます。Aから、ひょっとするとお出かけの誘いをもらっているのかいないのか、宙ぶらりんなナウですが。まあ、春なので良しとしよう。

明日もよい一日を。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

日々のよしなし事を、ただ。

コメント

コメントする

目次