豆撒けど 撒けど 鬼は来る。

祝!?20投稿越しています。自分のモチベーション維持のためだけ!に、50投稿ぐらいまではカウントしていきたい!!

季節ネタです。

豆撒き、やりますか?今日、ちびっ子たちの遊び場である某支援センターで、家でやる、やらないの話になり。うちは、割とそういうのやるな。と。

他の季節イベントはあまり熱心ではないのですが、なぜか豆撒きは、、します。一番手軽なイベントじゃないですか?用意が必要なのは、基本豆のみ。

ここ数年はAに鬼に扮してもらい、本当に外から入ってこようとするのを、思いっきり豆を投げつけて退散させるーってやってました。が、今年はAも忙しいようで、、、断られました。

「フツーに大学の授業で、帰りが遅くなるからムリよ。」と。あれ、1週間ぐらい顔を合わせていないことに打ちながら気づきました。まぁ、元気なんでしょうね。

「夜10時に2階から侵入しようとしたらダメでしょ。」と。本気度が、怖い。それはこっちからお断り。

節分。季節の節目なんですね。新年でワーって浮かれて、それが日常に変わってデフォルトとなったときに!おい、一回引き締めろよ。って、言われてる。そんなタイミングですよね、ちょっと早い気。本当、年齢を重ねてくると時間の経つのを早く感じるようになりました。

そして、

鬼 

《「おん(隠)」の音変化で、隠れて見えないものの意とも》

[名]
1 仏教、陰陽道 (おんようどう) に基づく想像上の怪物。人間の形をして、頭には角を生やし、口は横に裂けて鋭い牙 (きば) をもち、裸で腰にトラの皮のふんどしを締める。性質は荒く、手に金棒を握る。地獄には赤鬼・青鬼が住むという。

2 《1のような人の意から》

㋐勇猛な人。「―の弁慶」

㋑冷酷で無慈悲な人。「渡る世間に―はない」「心を―にする」

㋒借金取り。債鬼。

㋓あるひとつの事に精魂を傾ける人。「仕事の―」「土俵の―」

出典 デジタル大辞泉(小学館)

一部抜粋です。

私としては、もっと悪の化身のイメージであったり、逆に理解できない異質なものの象徴として見ていたり。

そうそう、人間の煩悩という捉え方もありましたね。言葉が先行している存在=実在はしていないもの。イメージ先行型のこの存在は子どもからはリアルに怖がられ、大人からは少しバカされたり含みをもつ感じで嫌われたり、茶化されたり。要は本当はよくわからないものだからだと思います。

わからない=人は危険とまず察知し攻撃的な態度を、または、混乱による思考停止に陥り全く反応ができなくなったりします。未知のモノに対して、それこそ冷静によく見てみて、どんなものかを想像して。怖いけど、どうすれば大丈夫かを知ってる。よく見たら大したことないや。

この未知に、だいぶ振り回されてる感がある現在(そして少し落ち着いてもきた今。色んな考えがあります。それが必要なんだと思います。考えようとすること)ですが、冷静な目は養えているのだろうかと。

鬼よりももっとリアルな存在で、気づかない間に色々なアプローチで近づいてくる。せめて正面からしっかりと顔を拝めるぐらいの冷静さをいつも心に。よけたり、避けて通るだけでは、未知のまま。怖いままだから。

補足(ホソク←脳内変換が…)

鬼は善を運んでくるとするところもありますね。なまはげ👹なんかはそうですよね。嚙んでもらった方がいい、、のは獅子舞。でしたね。捉え方次第。

新しい季節の訪れを喜べるように。

今日も見ていただき、ありがとうございました。明日もよい一日を。

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この記事を書いた人

日々のよしなし事を、ただ。

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