こんばんは。
これぞアナログの極み。そう、飲み会改め、今宵も意見合流会に。(前回の意見交流会より名前が少し変更したやつ。です。)もちろんペンと紙も。
なんでしょう、とにかく大事が詰まってる気がしてしょうがない。大人になればなるほど、アナログを求めていく気がしています。自分の手で収まる何か。あるいは収めていたい何か。人がそれぞれ持ち寄って集まればもうそれはとんでもないつながりに。
生活していくのに人と人の間で生きていくことはとても大事で、今その手掛かりをお互いに見つけあったり渡しあったりしている最中なのかと思うわけです。年齢的にも、交流的にも。
まだ2回目の集まりながら、結構な本質を話している場な気がします。子どものことやら生活やら、家庭、旦那たちのこともしゃべっているんだけど、多分根っこは自分のこと。彼の五味太郎さんは『6Bの鉛筆で書く』というエッセイで人生、というか生きる自分の体に対してを、車のメンテナンスに例えていましたが。私としては船の気分。舵を取ってそれぞれの場所へと向かっていく。途中で気が合えば一緒に航行する人もいるかもしれない。海こそ道なんて無いに等しくて。手を借りたり、周りを読んだりしながらなんとか進んでいくものかなと。
やっとそうやって放り出されて頭を使って考えて、ちゃんと自分の足で進んで行けよと。
交流した(合流した)自分の中の結論がなんだかそういうこと。
カッコいい男前な女子!の集まりで、お互いにエールを送りあっているような。そんなかっこいいことしてないか?私の心の中的には、お互いに対するリスペクトを感じれて心地の良い場なのです。
ともあれ、アナログしかやっぱり勝てんし、勝たんということ。
子どもたちの病気もやっと正常に周りが動き始めて、獲得しなきゃいけない免疫をフルに必死になってもらっていたり。成長していくことに対して面倒くさがるような世の中が蔓延しないように。人も植物もいびつでも、それぞれの速度があるということ。
相手に対する違和感は自分に対する違和感だと。そんな名言も飛び出た楽しき夜でした。
今日も見ていただきありがとうございます。
いや、改めて飲みながら書くってなんですか。超人技?10回やっても獲得できる気がしていない技です。できればきっとなにかの役に立つに違いない。いや、そんな役に立つとか立たないとかはいいんですが。
明日もよい一日を。そろそろ動ける日になりますように。
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