こんばんは。
思わず言ってしまったタイトル名。第2章。今日はBTS10周年をお祝いするFESがソウルの汝矣島(ヨイド)で開かれていたようですね。直接現地に行くことはかなわなかったけれど、気持ちだけはいつも近くに飛ばしていたい。
午後5時からはナムさんがMCとして公開ラジオという形でイベントを。もちろんweverse経由でリアルタイムで楽しむことができていました。ARMYエピソードとかね。私自身はそこまでのエピソードを持てていないんだけど気持ちに共感できることが多くて。そもそも言葉(韓国語にちゃんと向き合いたい)に対してやる気を持てるようになったのは彼らの存在があって出てきたこと。今の自分に自信を少し足してくれたのは彼らの愛の多さゆえ。愛するということが、こんなにも身近にあって深くて芯をもってそこにある。自分という1ミリにも満たない小さな個。ひどく落ち込んだりしていたわけでもないんだけど、いつも背中をそっと押してくれるように寄り添っていてくれる、、歌から入るとそうやって見えるところが大きい。
もういい大人である程度わかっているつもりで。まさかそうやって気づくところがあるなんて。ただ見ていたい存在があるなんて。
自分をわかっているようでわかっていなかったんですよね。詰まるところが。これからもそうやって知っていく部分があるってことなのかしら。自分にはまだそんな余地があると。
近頃はもっぱら曲もtake twoを思わず聴いちゃうし、そもそも家にとっても大げさでなく第2章始まらせるんだよなと。タイミングが合いすぎているのか、そういう意識でもってやはり見てしまうのが大きいからか。
自分の意識の外にあるものもなるべく、見るようにする時間を作っています。自分軸で選んだモノたちばかりじゃ心地はいいんだけれど、自分が何か抜けていけない気がしてしまう。ひょっとしたら自分で自分を勝手に計っていないか。まだ好きなものを見つけていけるパワーがあるのに、自分で自分を見限っているんじゃないかと。
そんなえらい人間でも無いけれど、可能性を捨てているとしたらそれは哀しいよなと。
第2章でも第何章でも、歩むことは止めたくないな。
なんてカッコよく締めたかったところなのですが、最近の一番の厄介なところ。自分の年齢(年をとってきてるよね、お互いにそれなりにね)の問題もあるのかな。旦那さんに優しく向き合えない自分。いや、正確に言うと優しさ。ということでは無く、独りよがりを押し通したい自分がどこかにいる。こうした方が絶対楽だし子どもがいると、子どもにも大人にもお互いにとって大変が少ないっていうやり方。当社比のみですが。それを伝えたいだけなんです。旦那さんからは伝え方、って言われてしまいがちなんですが、そこに気を使わなければいけない必要が正直わからない。他のことで十分神経をすり減らし、、って書いててああ、それはお互いにそういう状況を抱えてるんだよな。っていうのも薄々気づいちゃってる。ってことは優しさオンリーの話なのか。優しさ不足なのか。
優しさだとか歩み寄るとか。二人とも大きな考えは結構一緒で、それに関しては信頼もあるし。。ただ細かいところが解せないだけ。筋が通っていないとか、、うーん見えすぎちゃってるんですかね。だから見ないための適切な距離感を模索中。夫婦間だって第2章って言っちゃっていいんじゃないかな。
今日も見ていただきありがとうございます。
推しはずっと半永久的にみつめていられるけれど、家族に対しては目をあえてそらしてあげる時間も必要。っていう結論でまちがいないでしょうか。
見つめないという努力をしよう。
明日もよい一日を。
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