ビハインド。すなわち裏側ということです。
このブログを始めるにあたって、ウキウキしていた自分ももちろんいるのですが、妙なソワソワも、多分セットでありまして。
家族、友人には特に話していなかったのです。
なぜかって?
親しい人ほど、ネット上の私を見つけてほしくないというか、なんか小っ恥ずかしかったりする感じ。別人ではないんだけれど、また違う人間とも言える。
自意識過剰ってヤツなんですかね。
だからなのか写真も自撮り(セルフィー)がすごくイヤ。たぶん現代向きの人間じゃないんです。
誰が求めるの、私のポーズ?笑顔?え、誰も、、だよね。別にそれが主じゃないんだけれどやっぱりどちらかと言うならば映りが良いものを選びたい。なんて思ってしまう自分がイヤ。
主観のみで良いんだろうけど、引いて見ている私も共存してる。
たぶん、自意識過剰ってやつは見てほしいの裏返しもあるんだろうなと、面倒くさい自覚ももちろんあるわけです。
そう、そして、やはり伝えずにコッソリ始めています。見つかればその時。(この文を書いていたのは、初めてすぐ。ぐらいの時)で、実はAは、いくつか記事を見たようです。もう、開き直る。しか無さそうです。(そして半年以上たった9月現在、インスタに紐づけて公開しています。1か月ほど更新が滞っていたためにまた1から出直しな感がある今日この頃。)
ビハインド、薄薄わかられそうですが。。
アイドル(特にK-pop)界隈。舞台裏←これまで入って一つの作品ということなんですね。そこまでファンサなわけです。良い世の中じゃないか、と。これに関してはすごく言いたい。
キラキラな彼らが大好き。
裏で並々ならぬ努力が、積み重なって、形になっていく〜苦悶だったり、じゃれ合いだったり、一人間としての彼らに立ち会うことができるわけです。
歌を作るのに、そんなに影を、影だけではないですね。てか正直裏側までキラキラしてます。
生き様(ビハインド)を←もっと、サラッと見せてますが。背負った上でのオンステージなわけです。
文字打ちながらもうカッコ良さに泣けそう。
建前(ステージ)と本音(ビハインド)と言うこともできますか。違いましたね。やはりどちらもA面に見えます。
文を作るに当たって、アナログ脳の自分は、一回紙に起こしたりして文章練ったりするのですが、ビハインド側で打ちたい今日は、No原稿。真っ新で作っています。yes,原稿はさすがにありません。
文章を作るのがが上手い人になりたい。も、このブログを始める上での一つの動機だったりします。
自分自身、飽きない文章を読みたいんですね。
さてさて、私は人の感情の変化の瞬間、感情のうねりの瞬間。が大好物なんです。が
大きく見えている変化ではなく、見逃しそうな小さな変化。目の色が変わるとか、俗に言う、スイッチが入るとか。
子どもなんかだと小さい子ほど本当に、飽きもせず、驚きや、怯え、喜び、感情の動きを表情に出してくれることが多いです。
表も裏もなく、まっすぐ。ただ、そこにある。
今はなかなか表情が見えづらいスタイルの世の中ですが、目は口ほどに〜というアレも!目と口両方見えてるから成立する話で。目だけで感情なんか読み取れません。
目が口以下に成り下がる可能性も否めないかと。
今のご時世、口がビハインドということになるんでしょうか。
ボソっと、よくないこと言えたりね。
陰ではなく、日向口であれるように。
生き様さらしてなんぼ。と胸張っていられるように。
誰が見ても見ていなくてもってことです。
自意識過剰が通りますよーと。
愛すべきビハインド
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