日々家事育児。そして哲学る

こんにちは。

今日も寒い中、自分よく頑張った。強風にさらされながら1時間も公園にいて。。

寒く、寒いは寒かったです。それ以上に土日の行き先が無くてこまってしまう。公共施設は基本土日が休み。せめて場所だけでも解放してほしいと思う。児童館だと、ちょっとめんどくさいときがあります。別に人を求めてるわけではなく、ただ、だだっ広い室内で遊ばせたい。それだけなのです。声を上げていかないと案件なのかしら。

日常の細々としてる困ったこと。それって変えたいと思う力にはなれる、なるべきことです。文句ではなく、意見として。こう思うから、こうしたい。こういう風に困っています。と。

どの世代も全てに満足できるわけではないし、分け合えるパイは決まっている。予算や重要度や、長期的になのかとか。声が大きいから通ることでもなければ、やはりその時にタイミングだったり考えがうまく合致しないと、物事は動いてくれない。

家事育児、生活の原点。これが上手く機能しないと、結局外に出て行動することはうまくまわらないのじゃないかと思います。昔だったらそんな発想は微塵もなかったのですが。私にとっての家のことは育児と同じくらいすごく流動的で。今はまだできないこと、少しづつ丁寧に暮らしを送れるように。年とともに大事なことが入れ替わっていくように。

靴下を。だいたい子どもの靴下ですが、ほぼ毎日手洗いしてから洗濯機に入れています。当たり前、のことなのかもしれない。でもこういう風になってきたのもC子が産まれた後からなのです。正直、上の男の子たちの汚れたものに対して、小学校時代は特に気にすることもなく。どうせ汚されるしな。ぐらいにしかとらえていなかったわけですが、女子(あ、良くない発言ですかね。割と区別はしています。)に汚れた靴下はいかがなものかと。そもそも靴自体が多分汚れている。なので、毎日洗うはめになるのですが。これ、嫌なのかと問われると、嫌ではないです。私にはその時々でハマる家事があって、中高生男子がいた時には、アイロン魔でした。ワイシャツにアイロンを当てずにはいられない。パリッとさせてあげたい、ここだけでも。というよくわからない親心の発動です。親の妙なこだわりかもしれない。清潔を保ってあげられるのはでも、親しかいない。

義務にかられる家事が好きなのです、結局どこかに自分で義務をとりつけていないと、不安なのかもしれない。こだわりを持たなければやるもやらないも同じなわけで。義務にからめとられていたい。浮草のように漂える生活ではないし。今はそこに魅力を求めていないだけかもしれませんが。

家事、奥深いです。上手ではないので、できることしかしていないですが。

育児に義務は求めていません。やらなきゃというより、これやってみようかで動いていたい。楽しいかも。という想像の一択のみ。言葉で言えるほど、簡単にはいきませんが。ご飯を食べる場所(普段はテーブルに椅子)を変えるだけでも、床にレジャーシート敷いてピクニック風にするとか(今日がまさにそれでした!)。ちびっ子たちはそういう小さな変化を好きでいてくれています。食べなきゃという気持ちで食事に向かわれるよりも、楽しそうだし美味しそう。って思ってもらえる方がきっとうれしい。

物事に義務は必要。でも、人相手には義務はいらない。強制しない。というところでしょうか。

全く関係のない話ですが、キーボードのタッチが、ピアノの鍵盤をたたくように上達?してきている最近です。最初はパソコンに触れるのも億劫だった私からすると、大成長なのです。必要に迫られる。小さなストレスも必要。生きていくのに、まっ平な道では面白くない。から考え考え、暮らしていくのだと。

今日も見ていただきありがとうございます。あっという間に2月も終わりを迎えそう。春の嵐?なのか、不安定なお天気が続いています。少し頭痛がする日もあったりして。自分のケアを大切に。

また明日もよい一日を!

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この記事を書いた人

日々のよしなし事を、ただ。

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